tanojinの日記

昔は毎日書いていました。今後は不定期更新です。アフィリエイトをするつもりはありません。

「調べる」行為

先日大学の先生と話した際に言われたことがある。「学生がどんどんスマホを使えなくなってる。君は分からないことをすぐ調べようとするけど、全く調べようとしない人が多い」と、だいたいこんな感じのことだ。なお、これを言われるのは2回目である。それだけ調べる行為をしないのだろうか…

自分はこう見えて(?)物事を調べるタイプである。間違えるのが嫌だからだ。高校時代に電子辞書を買ってもらって、暇な時や分からないことがあればすぐ調べるようにしていたから、いつのまにか癖になっていた。そもそも自分の記憶力は当てにならないし。

 

さて、本屋にいるとよく本の所在地を尋ねられる。広いのでどこにあるかは確かに分かりづらい(自分自身まだどこにどの本があるか分からない)が、そのために検索機が置いてある。その検索機の位置も分かりづらくて場所を聞かれるのだが、それはここでは置いておく。そんな便利な機械があるのに本の位置を聞いてくる人がいる。

大まかに分けると、

1.本を探してみたが見つからず聞きに来た人

2.検索機の使い方が分からないので聞きに来た人

3.聞いた方が早いだろうということで聞きに来た人

 

1については仕方がない。本が多すぎて見つからないことはよくある。常備の入替をしている自分たちさえも本が見つからないことは日常茶飯事だ。というか、今日も見つからなかった本を置いてきた。明日頑張る。

2についてはお年寄りの方が多い。聞いてくるのはだいたい話題書なので結構見つかりやすかったりする。あとは外国の方もここに当てはまるだろうか。洋書が案内先として多い。

問題は3だ。そんな簡単に見つけられたらこっちも苦労しない。また非常に残念なことに、そういった人たちは本のタイトルなどを言ってくれない。「〜って感じの本なんですけど」と言われてもヒントが少なすぎて分からない。話題書や有名な本であればこちらも分かるが、そうでない時は地獄だ。

個人的には、本を読むという行為は思考することであり、知的な行為だと思っている。また、自分で読みたい本について調べたり、本屋の中で探すことも知的な行為だと思う。それらを飛ばして本だけ買おうとするのは色々放棄しているように思えるのだが、気のせいだろうか。

 

とりあえず、調べて分かるようなことは自分で調べて欲しい。検索して見つからなくてもいいから、もう少し情報を多く入手するとか、せめて少しは探したという姿勢を示して欲しい。当然の権利のように「聞いたら答えてくれるでしょ?」って来るのはマジで勘弁してくれ。

手に持っているスマホは一体何のためにあるんだ、ってこちらも言いたくなる。