「何を今更」と思われるようなことを書きます。
今のバイトの休憩時間は60分だ。7時間30分働いて1時間の休憩なので、まあ一般的だろう。
ちなみに、前職は労働時間7時間50分に対して、休憩時間は2時間10分あった。営業だから時間を自由に使えるというのが理由だが、拘束時間を長くするための戦法だろう。2時間10分全部休憩できたこともたまにはあったが、45分くらいしかなかった日もあったことをここに記しておく。
さて、60分の休憩時間だが、よくよく考えてみると60分きっかりは休んでいない。チャイムがあるわけではないから多少ズレるのは当たり前だが、それを差し引いてもという話だ。まず、休憩時刻ピッタリになってから他の人に休みますと伝える。それから控え室に戻って着替えていたらそれだけで2〜3分経っている。なお、レジが長引いた時などは申告すれば休憩時間を少しズラしてもらえる。
休憩が終わりに差し掛かると控え室に戻らないといけない。労働時刻ピッタリになったらまた働かないといけない。着替えて次の予定を確認し職場に戻る。遅れるのも嫌なので、だいたい2〜3分前には着いている。
そうすると、60分休憩があると言っても55分くらいしか実質休んでいないことになる。あれ、もしかして損してる?
昔中学の課外活動で江田島に研修に行ったが、そこでは「10分前行動、5分前集合」と習った。2泊3日で徹底的に教わり、いまだに意識している。これを心掛けていれば他人に時間で迷惑をかけることはかなり減る。その意味ではかなり役に立つ。
でもこれは自己犠牲だし、これを心掛けているからと言って他人から必ずしも感謝されるわけではない。暗黙のルールというやつだ。社会を生きる上でのマナーとも言えるだろうか。やっていなければ白眼視されるといった意味で。
もしみんなが60分全てを休憩してしまうとどうなるのだろう。徐々に輪が乱れていくのだろうか。
ここまで考えてみて、そういえば学生時代にチャイムが鳴ってから着席する人がいたよなと思い出した。そんな人がいた時は授業は多少遅れて始まった。逆にみんながチャイムの前に着席していると、鳴ると同時に授業が始めれていた。
もし授業が始まっても立っている生徒がいたら、先生は怒らないといけないだろう。そうなると怒るという無駄な時間が発生する。他の生徒も巻き込んでしまう。これは社会の輪を乱しているといっていいだろう。でも、自分自身の時間をとても大切にしているとも言える。昔はさっさと座れよと思っていたが、今なら少し気持ちが分かる。
そんな休憩時間に文句があるなら、あらかじめ「休憩時間60分(実質は55分くらい)」と書いておけばいいのかもしれない。それで納得するわけではないが。
当たり前にみんな行なっているけど、改めて考えると少し違和感があるよなと思った話。従業員は自己犠牲を出しながら働いてるけど、会社はそれを分かっているのだろうか、とも思った。
ちなみに、今日の休憩時間はミニリュウを捕まえるのに必死になってました。まだカイリューを持ってないので、早く進化させてGOパークに送らねば…!