tanojinの日記

昔は毎日書いていました。今後は不定期更新です。アフィリエイトをするつもりはありません。

「死んだら負け」について思うこと

ワイドナショー」をほぼ毎週見ている。批判が多い番組だが、レギュラー陣に好きな人が多い・その道の専門家も登場する・意外なゲストも登場するので面白い。最低でも「誰が出るか」はチェックするようにしている。なお、スポーツや芸能ニュースは興味が無いからだいたい飛ばすが、社会ニュースは見るようにしている。

さて、先日(10/14)のワイドナショーでは、最初のニュースが自殺した16歳のアイドルの話だった。詳しい内容は書かなくてもいいだろう。いつものように、ニュース内容→それを受けてコメントとなったが、見てて「めっちゃ批判が出るだろうな」と思った。そして現在、絶賛大荒れである。("炎上"だと言葉がキツイので「大荒れ」にします)

そもそも、このコメントに限らず番組での松本さん以外の発言も違和感があった。松本さん以外に、石原良純さん、モデルのトラウデン直美さん、ピアニストの清塚信也さんもコメントをしたが、誰も事務所のことについて触れなかったからだ。「証拠がない」というのが理由で、これは清塚さんも言われていた。実際それはそうなんだけど、アイドルの子も自殺する直前に「社長が怖い」と言っていたそうなので、当人と事務所の間にトラブルがあったのはほぼ間違いないと思うんだけど…その発言自体「証拠がない」ものではあるが。

何を問題とするかは人それぞれだし、何が飛び出るか分からないからこの番組は面白いのではあるが、まあ、芸能人達から件の芸能事務所を叩いて欲しかったって思いはある。それから、こんな事が起こらないようにどう対策すればいいか話し合う…的な展開を期待していた。まあ、対策は清塚さんが「ドラレコみたいなのを着ければいい」って言われていたが。

 

それからの内容をまとめてみる。

事務所についてノータッチのまま、松本さんのコメントになった。そこで言われていたことをざっくりまとめると、「自殺の原因は一つじゃない。(ここで、許容範囲を越える比喩としてコップから水が溢れると発言)原因を突き止めようとしても不可能。事務所が悪くないとは言えないし、言う事も出来ない。でも思うのは、自殺した人は責めれないよね。庇ってしまいがちなんだけど、それでも『死んだら負け』だってことをみんなが言わないといけない。死んだらみんなが庇ってくれるというこの風潮がすごく嫌。(中略)学校でも『死んだら負けやぞ』ってもっともっと教えていくべきだと思う」

ここで石原さんから「良い子だから周りに迷惑をかけたくない」のだろうと指摘。我慢し続けた結果、水が溢れてしまうのかもしれないと続ける。それに対して「寝て起きたらコップの水が半分になってることもあるから」と発言。ここでトラウデンさんから「16歳は多感な時期だから、小さなことでも本人にとっては大きなことかもしれない」との発言。ここまで来て、犬塚弁護士に話が振られる。未成年の契約についての法的な話へ。それからトラウデンさん(13歳で芸能事務所と契約)と高校生の矢崎希菜さん(14歳で芸能事務所と契約)の話に。契約した時の話や事務所の人とのコミュニケーションについてそれぞれ話した。そして石原さんから「芸能界に入る人は必ず勉強しておいた方がいい」というコメントが出て、勉強をしなかった清塚さんの話へ。松本さんから「売れるアイドルは頭がおかしい奴」、良くも悪くもというコメントが出る。ここでニュース終了。

 長々と書いてしまったが、本題に入ろう。「死んだら負け」なのか?

 

この松本さんの考えについて、自分は共感が出来る。言いたいことはすごく良くわかる。生死について考える機会が少ないから、「死んだ人はとりあえず庇う」みたいな風潮があるのかもしれない。だからこそ、いいきっかけだったのではないのかなと思う。でも、今回の松本さんの言い方だと多分自分は死んでた。

高校生くらいの時、自分はよく「死にたい」と思ってた。中二病を引きずってただけなのかもしれないけど、少し危うい場所はあったと我ながら思う。めっちゃ高校生活は楽しかったけど、その高校をよく休んでいた。孤独を感じていたからだ。それで動けなくなって、死にたくなる。なんなら、松本さんが言われていた「死んだら庇ってもらえる」という考え方、まさにこれを思っていた。死んだら少しは見てもらえるのかなって。自分からそう仕向けていただけかもしれないが、いろいろ追い詰められていた。

死ななかったのはラノベがあったからだ。ちょうどその頃二次元にハマっており、「マテリアルゴースト」を一時期はずっと読んでいた。(ポケモンBWの主人公名をシンラ=深螺にするくらい)死にたがりの主人公が幽霊や巫女さんたちと愉快な高校生活を送る話だ。この主人公の考え方に共感をしていたが、死ななかったのは1巻の作者、葵せきなさんのあとがきがあったからだ。

「死にたいと思っている人、もう少し生きてみませんか?」

確かそんな文言だったと思う。これ、言ってることは今回の松本さんの発言と変わらないものだ。でも、伝え方が違う。「生きてたらいいことあるかも」と思えたから今まで生きており、その間にあまちゃんとかまどマギとかFEとかいろいろ楽しいものに出会えた。もしこれが「死んだら負け」だって言われたら、意固地になって死んでいたかもしれない。かもしれないだけなので、実際分からない。

その後、平野啓一郎さんの本の中で「死にたい」と思うのは「生きたい」と思う事、だってリストカットで死ねるわけないでしょ的な文章を見つけてすごく納得した覚えがある。

 

話がぐちゃぐちゃになったが、松本さんの話は分かる。死んだら庇ってもらえるという風潮は良くない。(叩かれるよりはマシだが)「死んだら負け」というのも多分そうなのだろう。

ただ、そういう伝え方をするよりも、「生きていたら良いことがある」という言い方の方が個人的には良い。綺麗ごとを並べてるだけの気もするが(綺麗ごとは松本さん嫌いそうだしね)

ここまで書いて分かったが、「死んだら負け」って思うとより"死"というものに囚われてしまう感じがするんだ。死にたくなる時って頭の中が"死"という文字で一杯になる(自分はそう)から、どんどんそれに近づいてしまう。結果、最悪な選択を取ってしまう…という風に思っている。的外れかもしれない。ただ、自分は「生きる」ことを考えさせた方が死にたいと思っている人には効果的なんじゃないかなと思う。