tanojinの日記

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世の中って面白い!と考えてみる その1

先程「心が真っ黒になった時」などという、なんとも痛々しい記事を書いてしまった。その時のGoogle検索の履歴には「世の中 面白くない」が残っている。

その後「労働者のための漫画の描き方教室」というめちゃくちゃ面白くて分厚い本を読んでいたのだが、その中でこんな一文が出てきた。

つまり、社会を観察するならば、社会を観察した自分自身が変化しなければならないのである。

優れた漫画を描くには「見る」が必要不可欠であり、観察することで鍛えられる。観察対象は他人と社会の2つで、共通するのは「自分と違うこと」に注目する点だ。自身の狭量さを受け入れて、違う所を発見し続けることで人は成長ができる。一見当たり前のようなことだが、漫画を描くというテーマでこんなことを言われるとは思わなかった。

 

ここまで読んで、「世の中 面白くない」と検索した自分がどれだけ無意味なことをしていたか思い知った。厭世的な気分に浸りたいがために、惰性で検索してぬるま湯にずぶずぶ漬かっていただけだ。

というわけで、逆に「世の中 面白い」で検索してみる。

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これじゃない。「世の中ってめちゃくちゃ面白いんだよ!」って言ってる人の声が聞きたいんだ… 面白いの創り方とか面白い言葉とかはどうでもいいんだ。ついでに言えば「楽しんでいる人の特徴」を赤の他人が解説しているのも少し違う。「世の中って面白い」と思っている人の生の声が聞きたいんだ。

となると、FacebookTikTokを見ればいいのかってことになるが、どちらもアカウントを持っていない。Twitterは怨嗟の声で溢れているので役に立たない。(偏見)

 

でもここまで書いて思ったのは、なんだかんだで他人がいるからこそ世の中面白いんだよなってこと。超当たり前のことだし、逆に他人がいるからこそ面白くない時もあるが、結局ここに行きつくんじゃねって気がする。FacebookTikTokも他人が見るからこそ面白いわけで(特にTikTokは2人以上で撮影しているイメージがある)、Twitterも他人がいるから面白い。面白いって思った人をフォローすればどんどん面白くなるのがTwitterの良い所。厭世的な人も「面白い人」枠でフォローして、荒んでいくことなっても。

あー、でも「世の中 面白くない」と「世の中 面白い」は【社会】の大きさが違うんじゃないかな。さっき検索した範囲でも「世の中 面白くない」で出てくるのは、日本で暮らすということを考えると厭世的になる、ってタイプだ。自分もそれで嫌になる事が多いし、浅野いにお作品もそんな感じだ。世の中=日本社会。

対して「世の中 面白い」はもっと人間的というか、個々人がどうやって面白さを見つけるかとか、世の中=人間社会で個人に還元されるタイプだ。

だから「生の声」を聞きたいのは、「日本社会で暮らすことが面白い」と思う人たちからだ。なんだか最近流行りのテレビ番組みたいだ。さっそく「日本で暮らす 面白い」で検索すると、日本在住の外国人の話ばかり出てきた。だからそうじゃないんだって。

続く(次回は未定)