tanojinの日記

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あの時のクラスは「オタク趣味が中心」だった —オタクからマニアへ―

先日あるまとめを読んだ。

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これを読んでどう思ったか、などは置いておく。(また別の機会に書きたい)それよりも、この作家さんがデビューして売れていた頃が、ちょうど自分のラノベにハマっていた頃と重なるので少し懐かしくなりながら読んでいた。

自分がラノベにハマっていたのは2008~2012年だ。「俺妹」や「はがない」が出版され、ガンダムooが放送され始めたのが2008年だ。ハルヒらき☆すたは知ってて当然という聖書みたいなもので、自分自身ハルヒを読んでラノベにハマったクチだ。そこから文学少女、バカテス、生徒会の一存化物語禁書目録なども読み始めた。

中学生~高校生の間の出来事だが、クラスにも部活にもラノベ・アニメ好きがたくさんいた時代だからとても楽しかった。特に高1のクラスは最初こそラノベを読むのは5人くらいしかいなかったが、最終的に20人くらいまでに増やせた。もちろん偏見はずっと残ったが、今までラノベに興味がなかった人たちから「面白い」という言葉が聞けたのがとても快感だった。この時、「世界が変わった」という感触があった。「オタク文化が日の目を見る」ことに成功して、「流行の中心に自らがいる錯覚」を得れた。これは中々味わえない体験だと思っている。

しかし、高校卒業と同時にラノベからは離れていった。読んでいたシリーズのうち、幾つかは途中で読むのをやめた。そして、続いていたシリーズが終わると同時にラノベ趣味も完全に終わった。新しいシリーズに挑戦する気もなく、むしろその頃は小説や新書を読み始めていたのでラノベを小馬鹿にし始めていた。

悪い終わり方だった。

ラノベが面白かったのは間違いないが、結局「みんなと一緒の本を読んでいること」が楽しかったのだと思う。だからみんなが卒業してしまうと、自分も卒業するしかなかった。高校卒業してから1年間はオタク趣味からも離れていた。大学にもラノベを読む人はいたが、積極的に公表する人はほとんどいなかった。何だかリセットされた感じだ。それに加えて大学に入った頃はかなり忙しかったので、ゲームだけはしていたが、必死になって設定を探ることやキャラについて掘り下げることはできなくなった。オタク趣味から遠ざかってしまったのだ。

結局、「魔法少女まどか☆マギカ」に出会ってまたオタク趣味に戻るのだが…

 

 

オタク趣味に戻るのだが、以前とは変わってしまった。

変な文章になって申し訳ない。ある本を読み直していたら続きが出来てしまった。

大学は基本的にクラスが無い。よって、高校までのように沢山の同志に囲まれてオタク趣味に浸ることが出来なくなってしまった。数人の友達とゲームを毎日していたが、あの頃とは全然違う。「集団の一体感」がないのだ。友達とは毎日会っていたが、イベント会場に行ったり、誰かの家で一晩中語りつくしたり…などはしていない。(高校までもやってないが)せいぜい、「シン・ゴジラ」を全員で観に行ったくらいだ。だから「オタク趣味」といっても、一人で暗い道を探索し続けるような、孤独な趣味になってしまった。

この状況について、「オタクはすでに死んでいる」が一つの解を出してくれた。岡田斗司夫が2008年(ちょうど自分がオタク趣味にハマった時だ!)に出版した、オタクへの違和感から「おたく→オタク」までの変遷について書かれた本だ。その中でこんなことを言っている。

重要なのは、オタク文化が死んでしまった今、オタクは等しく個人に帰り、かつてオタクだった人々は、みんなマニアでしかなくなった、ということです。

オタクとマニアの違いは何か? それは「民族であるか、ないか」です。

この文章を読んで、自分はマニアになったのだということにようやく気が付いた。もしかしたら、オタクでもマニアでもない、ただの孤独な人なのかもしれないが、まあ「マニア」ということにしておく。大学の時にハマったまどマギも、FEも、浅野いにおも基本的には一人で楽しんでいた。(あまちゃんは家族でハマったので除外)まどマギのみ、大学の同期数名に布教するなど民族を作る動きはしたが、結局そこまでには至っていない。周囲の人に働きかけるのをやめて、自分自身がどう楽しんでいくかのみ考えていくようになった。まあ、それでも「オタク」であろうとあり続けたのだが…

というか、高校までのクラスにあったのは「面白さ」「熱さ」「萌え(認めたくないけど)」という感覚の共有だったのかもしれない。もっと言えば「分かりやすさ」を共有しようとしていた。岡田斗司夫が違和感を持った「現代のオタク?達」になっていた。「萌え」という感覚の共有だけあればいい、そんなオタク達にだ。それが良い悪いの話ではなく、自分達が望んでいたことは「オタク文化が中心になること」ではなくて、「一体感を持つこと」だった。ただ、それだけの話だ。

意外と気が付いていたかもしれない。ラノベを買ったり、アニメを見ることはしてくれても、「自分」と同じようにはならないことくらい。それを今、言葉にすることでようやく自覚できたなんて…なんて滑稽なんだろう。

 

あの頃のクラスはオタク趣味がクラスの中心になっていたわけではない。そして自分はオタクではなく、マニアになっていた。そして、今の自分に繋がる。